脱サラジャーニー〜40代からの世界一周〜

カンボジア プノンペン88日目続き(2018年4月28日)

プノンペンでもう一箇所行きかった場所・・・「Killing Fields(キリング・フィールド)」

トゥール・スレン(S21)に収監された人々が向かう・・・処刑場。

私は、バイクタクシーで6ドル(帰りも6ドル)に乗って気軽に向かいましたが、当時の人は目隠しで不安な状態で向かったいたとのことです。

10キロほど離れたキリングフィールドに到着しました。ここもオーディオを借りてゆっくり見学します。

最初は、トラックが到着する場所・・・ただし、建物はほとんどありません。ナレーションによると、近所の人たちが生活のために物品を持ち去ったからとの事です。

発見当日たくさんの死体のガスで地面がめくれていたりしていたそうです・・・。現在はこんな感じになっていますが・・・見つけた当時はすごい光景だったんだと思います。。。

次は、今回のキリングフィールドでもっとも衝撃を受けたキリングツリーになります。ここが発見された時、この木には血や脳みそが散乱していたそうです・・・そう、赤ん坊はこの木に打ち付けられて殺されたそうです。理由は、ポルポト等の考えである菩提樹はマジックツリーと名前が付けられていました。ここでは処刑の断末魔が外部に漏れない様にカモフラージュの為、木にスピーカーが吊るされ大音量の革命歌が流されていたそうです。「雑草を取り除くなら根こそぎ」を実施したからになります。

この場所は今でも人骨や歯が出てくるとの事で一箇所に集められます・・・

最後付近には、菩提樹があります。その名もマジックツリー。ここから革命音楽を大音量で毎日流し断末魔が外に漏れないようにしていたとの事です。

最後は、慰霊塔になります。ここには発掘された頭蓋骨が性別年齢毎に分かれて大量に展示されています。写真も自由との事でした。ここにあるだけの頭蓋骨だけでもすごい量なのにこのたかが2時間ぐらいで周りきれる場所で2万人もの虐殺がなされていたそうです。

私は、カンボジアで虐殺があったという事は聞いていました。1975年から約3年と8ヶ月で300万人も虐殺されたとは知りませんでした。しかも、私は1973年生まれですのでもしカンボジアに生まれていたらキリングツリーに叩きつけられていたのかもしれなかったのか。。。

本当に、本当に、平和な世の中が続きますように切に祈ります。

また、この虐殺を命令したポルポトが82歳まで家族に囲まれて幸せに生きたというナレーションを聞いてなんとも表現出来ない気持ちで見学を終了しました。

さぁ、今日でプノンペンラストということでナイトマーケットへ・・・でも雨降って来たので帰って来ちゃいました。。。はぁ、早く首治らないかなぁ・・・

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