脱サラジャーニー〜40代からの世界一周〜

ポーランド クラクフ  302DAYS (JAN/19/2019)

ジェン・ドブリィ。脱サラジャーニーです。

今日はこのポーランドに来るにあたり絶対に行きたいと思っていた場所Auschwitz(アウシュビッツ)のツアーを申し込んでいます。

いつもなら、自力で移動やチケット購入をするのですがここだけは日本語の少人数ツアーでじっくり見たいと考えてのでクラクフ からの日帰りツアーを申し込みました。

と言っても、ツアーは8時にPlac Matejki(マテイキ広場)のPomnik Grunwaldzki(グリュンワルド記念碑の騎馬像)で待ち合わせなので少し早めに起きて街を散策しがてら向かいます。

日ので前なのでまだ薄暗いイルミネーションに飾られた道を進み中央市場広場へ。

中央市場広場に出ましたが、ここも朝早いのでまだ人影もまばら。

朝焼けに照らされる街並みをゆっくり見て待ち合わせ場所に向かいます。

グリュンワルド記念碑の騎馬像の前に到着しましたが、待ち合わせまで1時間あるので近くのStary Kleparzという市場で時間を潰してから再度向かいます。

待ち合わせ10分前に行くとポーランド人のガイドさんが流暢な日本語で話しかけてきます。

どうやら今日のガイドさんのようです。日本人だと思ってたから最初日本語で話しかけられてるってわからなかった(笑)

で、ガイドさんは他のツアー参加者を探しに行くと他の女性2人の参加者と会った瞬間も大声で喜び抱き合っています。何事かと思って近くに行って話を聞くと、ガイドさんが日本でボランティアしている時に一緒にやってたらしくたまたま今回のツアーで再開したとの事。

なんか、すごいことが起きてるしいいツアーに参加できたのかもしれないなと思いながら、ツアー参加者の5名が集まったので車に乗り込みいざアウシュビッツへ景色を見ながら移動します。

1時間ほど移動したらいよいよアウシュビッツの近くのOświęcim(オシフィエンチム)に到着しまずは博物館があるアウシュビッツ第一収容所に到着。

やはりこの場所は人気があるようで結構混んでいました。

セキュリティーを通ったらガイドさんの音声が聞けるイヤホンをもらいツアー開始です。

今回の日本語ツアーに際して、博物館のガイドさんも一緒に行動するらしく、質問あったら聞くのでどんどん質問して下さいと言われましたが、なかなか質問は出なかったです。

入り口のゲートに向かい物々しいゲートを通過しアウシュビッツの敷地内に足を入れました。

最初に、ブロック4の中を見学するとの事で向かい中に入ります。

アウシュビッツのあった場所はヨーロッパの真ん中でどこからどれぐらいの人が来たのか説明されている部屋に入りました。

アウシュビッツ強制所に来たのはユダヤ人ばかりだと思っていましたが、そうではなかった事実を知ることが出来たのと、こんなに集められこんなになくなったのかと・・・

「The Lode of Death」の看板が下げられた次の部屋に。。。

ここは、ここに連れてこられた人がどのように到着しどのように殺されたかがわかる写真が展示されていました。新しい場所に住めると信じて来たユダヤ人はアウシュビッツで電車から降ろされた様子や当時どのように扱われていたのかが写っている貴重な写真の展示。

まさに、この部屋に展示されている写真は死の道でした。

次に部屋は、ちょっとショッキングな内容が展示されていました。

撮影禁止の髪の毛や(人毛で布を作って高額で売り戦争資金にしていたらしい)ガス室で亡くなった人を燃やしている写真の展示(先ほどの部屋はドイツ人が撮った写真だったが、この部屋の写真は嫌々ながら職員として働いていたユダヤ人が隠し撮りをした写真らしい)や当時の収容所の模型やガス室に巻かれたCyclon B(サイクロンB)という薬や空き缶の展示。

本当にこの場所でこのようなことが起こっていたという事実に愕然とします。

次は、隣のブロック5の見学。実際にアウシュビッツに連れてこられた人達の遺品の展示。

多分展示は一部だけだと思いますが、本当に多くの人がここに連れてこられ殺害されたと認識

次は、ブロック7の見学。

当時どのように生活していたのか、ここに収容された人達の写真。

ちなみに、写真の下にある日時はここに連れてこられいつ亡くなったか明記されているとの事。

次はブロック11の場所へ。ここは他の収容所と違い刑務所だった場所とでちょっと雰囲気違う。

入ってすぐにドイツ兵の看守がいる場所があり、奥に肖像画がおいてあるのが印象的でした。

地下には、監獄がありすごい狭い場所に人が押し込められてたったままで投獄されていたとのこと。空気の穴も小さく多くの人は酸欠になったとのこと・・・(撮影禁止ゾーンでした)

11ブロックの地下の見学が終わったら、ブロック11と10の間にある階段で外に出ました。その場所は、銃殺刑を実行する場所だったらしくその内容が見られないように隣の建屋の窓に細工がされていたりここだけ壁があり扉が閉まると中が見れないようになっているとの事でした。

この後は、建屋に入ることはなかったですが(名前だけの)病院があったり食堂があったりとの説明を受けて点呼広場に。その前には、見せしめのための集団絞首台がおいてありました。

誰かが脱走すると残った人を無作為に選び殺害していたらしいです・・・本当に酷い。

さて、収容場所から再度ゲートを超えた場所に移動します。(戦時中はこの鉄条網にも電気が流れていたらしい)その場所から見える普通の豪華な家・・・この収容所の最初の所長の家族の住処だったらしいです。ここにも絞首台のモニュメントがありました(説明聞いたのですが、なんであったのか聞きそびれてしまいました)

次は、ガス室と焼却炉の見学。

ガス室には先ほど4号館で見た薬品のサイクロンBを落とす穴も残ってました。

ちなみに、ここアウシュビッ第一収容所のガス室と焼却炉は一番規模が小さいとの事でした。

色々考えされられながら、アウシュビッツ第一収容所博物館のツアー終了になります。


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